「データ分析」とは人生における体力である

2018年8月16日

体力がありすぎても特殊な場合を除き使い道がないが、まったくなければ何もできない

フルマラソンを走れる持久力はマラソン選手には必須であるが、野球選手には持久力よりも筋力だろう。サッカー選手であれば持久力があればあるほど走り続けることができるが、いくら走れても瞬発力がなさ過ぎては意味はない。とスポーツで考えるとわかりやすいと思うが、「データ分析」はつまりはビジネスだけでなく人生における体力であると考えられる。

基礎体力としてのデータ分析

では、基礎体力にあたる部分は何だろうか。まずはデータ分析プロセスの全体像の理解であろう。これがないと分析すれば後は関係ないとか(参考:データ分析がプロセスであることを意識しないと見えないこと)、目的を決めずにデータいじりをするとか(参考:目的無きデータ分析は無駄である)、すべてがばらばらで個別の問題と扱われてしまうが、プロセス全体を意識することでデータ分析が意思決定と実行の質を上げることであることを常に忘れないようになる。

2つ目に分析・洞察である。情報・データから物事を考えるということがいかに大切かは言うまでもない。

3つ目に、情報・データ収集だ。ニュース、ブログ、口コミなどあらゆる情報は誰かが何らかの意図持って流しているのであり、リテラシーがないと簡単に騙されて損をすることになるし、分析・洞察を行うためには正しい情報・データ収集が土台となる。あらゆる分野の情報を精査するというのは無理だが、情報・データを鵜呑みにしない、見た目にごまかされないよう気を付ける、自分の考えに合う話だけ受け入れない、など最低限のことは気を付けるようにしたい。

この3つは広さや深さの程度はあれ、1つでも大きく欠けると様々な支障をきたす。これはまさに基礎体力だ。

専門知識はマラソン用の持久力

データ分析というと特殊な事例や理論(今なら人工知能や深層学習)が話題になりやすいが、これはマラソン用の持久力に比べられよう。マラソン選手には必要であるが、大半の人にはそこまでの体力はいらない。監督やコーチは理解しなければならないが本人が同等の体力を持つ必要がないのと同様で、非専門家は人工知能や深層学習を正しく使うための理解をすればよい。ただしそれが容易であると考えるのは大きな誤解である。

全部あれば言うことはないが、時間は限られているのでそれ以外は役割に応じて身に着ける

当然、全部できれば言うことはないがそんなことはありえず、人生の時間は限られているので取捨選択が必要になる。その基準は自分がやりたいことや自分が求められている役割を全うするにはどうするかだ。

サッカー選手は足で、バスケ選手は手でボールを扱う。なのでプロセスにおいてどこを強化せねばならないかは自分の役割に合わせて身に着ける必要がある。サッカー選手だけどラケットが使いたいから練習するのも、野球選手だけど体力は重要だと思うからひたすら走り込みするのも本人の選択の自由であるが、それが求められている役割と違うのに使われないことに文句を言うのは筋違いである。

ビジネスなら今いる会社、あるいは向きあっているクライアントの課題に対する答えを提供するのでなく、自分がやりたいことをやりたい、それができないのはおかしいとTwitterで愚痴っても仕方がない。会社の求めていることをするか、他の場所を探すか、自分でできる場を作るか、ビジネスと切り離して趣味でやるか、選択肢はたくさんあるのだ。