よく使われるからこそ注意が必要な「仮説」についての問題点

仮説は有用だけれども使い方を誤ると危険

日常生活においてあらゆることを吟味していられるわけもないので仮説というのは指針を立てるのに便利だ。だからといって安易に使いすぎると仮説にも問題点がある。

仮説の問題点1・本人が想像できないことは仮説にならない

仮説とはつまり「~かもしれない」ということであるが、仮説を立てる当人の想像にも及ばないことは仮説にならない。ECの発展は世の中の購買行動を大きく変えたが、20年前の時点で企業戦略を考える際に外部環境にここまで変化が起きるかもしれないと考えた企業は少ないだろう。想像できなければ対応策を考えることもない。未知なるものには仮説が無力である。

実例を挙げると、あるエリアからの来店が極端に少ない理由をデータを見ながら仮説を立てて議論をしていたが、実際に現地に行ってみたら近くの橋が工事中で通れず、迂回すると途中にライバル店があったからということもあった。仮説を立てる際には、何を見落としているかを意識することが重要だ。

仮説の問題点2:仮説と願望が混同する

「~であってほしい」が「~かもしれない」となってしまうのも注意だ。キャンペーンの効果を調べようとするのがもし企画者だとして失敗を恐れていたりすれば、どうしても良い方向にしたくなるのは当然だし、自分の意見が先にあるとその意見が正しいという仮説を作ってしまう。仮説は客観的に立てないと意味がない。

仮説の問題点3:仮説を証明するためのデータを集めようとしてしまう

願望が含まれている場合はもちろんのこと、いくら客観的に仮説を立ててもその仮説の正しさを証明しようとするデータだけを集めてしまいがちになる。いわゆるアンカリングだ。仮説を立ててそれを正しいと証明することは目的ではない。

よく使われるからこそ注意が必要

仮説の有用性は語られてもその問題点についてあまり見たことがなかったので「仮説ありき」が必ずしも正しくないのでは、という視点で書いた。もちろん日常生活において仮説でショートカットをすることはよくやっているが、それを重要な問題にまでそのまま適用すると危険が潜んでいるので気を付けたい。