日本にデータ分析の文化が育たなかった理由を考える(2) ・・・ 国内での争いが少なかったから?

2018年9月3日

国内事情からデータ分析の文化を考える

日本にデータ分析の文化が育たなかった理由を考える(1) 外国からの脅威が少なかったら?に続いて今度は国内での事情を何回かに分けて考えてみる。

比較対象は主に中国史。これは文化的な影響を大きく受けているのに情報に対する考え方があまりに違うのでよい比較になりそうだから。

為政者から見た場合

まず、国内での争いであるが、中国では大規模な内乱(楚漢の戦いや三国志から国共内戦まで)が頻発している。さらに農民反乱も加えれば膨大な数になる。となれば為政者としてはその反乱の鎮圧はもちろん事前に企みを潰す、反乱を起こさせないようにするために苦心しなければならないが、その基礎をなすのはやはり事情を正しく知ること、つまり情報の収集と分析であり、それと合わせて工作活動も盛んになる。したがって孫子には敵や地形を知ることの重要さが書かれているが、これが書かれたのは2,500年前のことだ。

一方日本ではと言うと、国を分けての大乱になることも滅多になく、大規模な農民反乱から始まって為政者が脅かされるようなこともなく、王朝が倒れることもなければ幕府も一度できれば短くとも100年は続いている。となれば反乱への警戒を怠るなと言うほうが無理な話で、事前に情報を集めて反乱を阻止しようという発想に至らなかったのも頷ける。

一般庶民から見た場合

三国志は英雄豪傑の物語として人気であるが、その頃に生きていた庶民にとっては大迷惑な話で、その間に人口が数十パーセント激減している。となれば生き残るために食料をどう調達するかやどこに行けば安全なのかを広大な国土の中で探す必要がある。自分の足では無理なので様々な人を介して情報を集めることになるが、誰から話を聞くかを決めたり、その情報は信用できるのか判断したりも必要になる。もし間違えれば一族全滅にもなりかねないのだから真剣だ。

日本の庶民は対照的で、数十年の戦いで人口が激減したなどということは無いだろう。飢餓はたびたびあっても全国的に広がって大災害になったという話も聞かないし、そもそも原因は自然災害であって人災でもない。なので災害への対策にとどまったのではないか。

やっぱり必要でなければ考えない

為政者、庶民の二つの視点から比較してみたが、たまにというか数世代に一度しか起きないような話であればやはり対応するためのノウハウは伝わりづらいのであろう。日本で頻発する地震に対しては備えができているが、そうでない国では震度が低くてもビルが倒壊して被害が出ることもあるのと同じことだと考えられる。

というわけで、日本にデータ分析の文化が育たなかった理由を考える(1) 外国からの脅威が少なかったら?を踏まえて図を書くとこうなる。

ビジネスの世界では違う?

いや、ビジネスの世界はちょっと違うのではと思うかもしれないが、従業員はさほど権利を主張するわけでもなく、ましてや青色LED訴訟のようなこともほとんどなかった。つまりは「敵がいない状態」なのでむしろ上述の為政者に近い。

最近はSNSで技術者軽視の姿勢やブラック企業情報など今までされてこなかった情報が共有されるようになってはいるものの、それで企業側がすぐに考え方を入れ替えるのかと考えるとそんなにすぐには変わらなそうだ。