日本にデータ分析の文化が育たなかった理由を考える(3) ・・・ 戦争や政争に負けても大したことにならないから?
負けても大したことにならなければ危機感は持ちづらくなる
危機感というのは「負けたら大変なことになるから負けたくない」ということから生まれるわけだが「負けても大したことにならない」のであれば危機感は当然持たないとは言わずとも持ちづらくなる。倒産したら膨大な借金を背負って一家離散になってしまう社長と失職するぐらいで済むサラリーマン社長では危機感が違うのと同じということだろう。
負ければ一族が滅びるのとせいぜい島流しでは危機感が違う
戦争や政争に敗れた側の運命は中国史と日本史を比較するとその違いがはっきり出て面白い。王朝交代時に前の皇帝が生き残るのは珍しいし、家臣はもちろん皇族内つまりは親兄弟親戚間での争いも絶えず負ければそれは当人はだけでなく子孫や妻の一族まで皆殺しが当たり前となれば相手の情報を集めることはもちろん謀略でもなんでも使って勝たなければという思いは強くなるのは当然だ。
一方日本では例外はあるにしても王朝交代は一度もなく、内乱で負けても一族皆殺しになったような場合はほとんどないのではないだろうか。となれば負けるつもりで戦う人はいなくとも、その危機感や対抗策を考える術を学ぶ事に考えがいきづらい。さらに言えば国内での争いも少ないのだからなおさらのことだ。
危機感の欠如はすぐに変わらないのかも
では危機が起きればすぐに切り替わるかというとそうでもないらしい。危機であることが認識できないのか、認識しても方法がわからないのか、方法はわかっても重要さが理解できないのかはより詳しく調べる必要はあるとしても、いずれにしても国家の命運をかけた戦争だというのに情報については随分お粗末だったことは否定できない。
戦争でこのありさまなのであるから、たかがビジネスへの影響は遥かに小さいだろうし、それがサラリーマン社長であればなおさらだろう。
ビジネスの世界はまさに戦乱の世の中だが
ビジネスの世界は今現在まさに戦乱真っただ中にある。ところが今の経営者層は平和な時代に生きていた人達なのでやはり今から変わるかというとあまり想像できない。
インターネットに情報が出ていて他の企業と比べられる、社員が権利を主張したり様々な要求をしてくる、外資に逃げるなどはある意味反乱であり、具体的に被害が見えてくれば経営者がきちんと対応できるように(それが社員にとって良いかは別として)なるのかもしれないが果たしてどうなるだろうか。
その点若い世代は失われた20年とか就職氷河期などの危機を体験していたりインターネットにより多くの情報を得られるようになっている分だけ情報への感覚が鋭くなっている気はする。とはいえ文化として定着するのはまだ先の話か。