良きデータサイエンティスト・データアナリストになるためのあり方、考え方

2018年5月9日

良きアナリストになる道は長く険しい

アナリスト(他の誰かが意思決定するための情報(インテリジェンス)を作る人のこと)としてどうあるべきか考え始めて10年以上経ってもまだ模索し続けているのだが、いくらかあるべき姿が見えてきた気がするので列挙してみる。順番は思いついた順なので重要度を意味しているわけではない。

良きアナリストになるためのあり方、考え方10か条

データ分析は無視されるものである

どんなに素晴らしい分析を作りだしたところで、無理されてしまえばそれで終わりである。しかし、家臣や部下の提言を受け入れて成功した例よりも、無視して失敗した君主や経営者の例の方が古今東西はるかに多い。つまり、データ分析とはそもそも無視されるものである。

提言がいつも受け入れられ、喝采を浴びる時代は永遠にやってくることはない。その現実に耐える覚悟が持てなくなったら、それはアナリストを辞める時だ。

客観性・中立性を失ったアナリストに存在価値はない

人は自分の都合の良い情報を好む。上司やクライアントに媚びたり阿ったデータ分析を自ら進んで提出するのはアナリストとしての自殺行為である。また、自らが望む方向へ意思決定者を導こうとして分析を捻じ曲げることも同様に行ってはいけない。

直言を恐れない

君主に直言して命まで失った例も数多い。しかし現代のビジネスにおいてはせいぜい異動になるか悪くてもクビになるぐらいで命まで取られることはない。命を賭して直言してきた人に比べれば遥かに安全で恵まれた環境で、罰を恐れて口を閉ざす必要もないだろう。

知らないことを知らないという

馬鹿とか無知とか思われたくないという理由で、あるいは自分を有能に見せたいがために知らないことをあたかも知っているようなふりをしても見る人が見ればすぐにばれるものだ。だからこそ、その場を誤魔化すのではなく知らないことは知らないと言える知的正直さを持ちたい。ただし知らないと言うだけではなく「今は知らなくても、これから学ぶ」のだ。

時期を逃したデータ分析は無意味

どんなに正確な分析ができたところで、事が起きた後では無意味になる。特に良くない話は何を差し置いてでもすぐに伝えるべきだ。ましてや数字をいじって都合よく捻じ曲げるために時間を引き延ばすなど、論外である。

事実とそうでないものの区別を明確にする

自分が真実であると考える事柄を、客観的な事実であるように報告することは戒めねばいけない。あくまでも事実は事実、推測は推測であり、その区別が明確でわかりやすいようにしておかないと、意思決定者を混乱に陥れる。

長期的・大局的・多面的な視野を持つ

日々の仕事はもちろん大切なことであるが、アナリストたるものより広い視野が必要だ。目先のことだけではなく数か月後・数年後に社会や業界がどのように変化するか、変化による自社への影響はどうか、対策としてどのようなことが考えられるかなど、いち早く警告を上げることは大事な使命の一つである。

呻吟語に言う「寛厚深沈、遠識兼照、福を無形に造なし、禍を未然に消し、智名勇功無くして、天下陰に其の賜を受く」とはアナリストとしての究極の姿だ。

必要な情報が全て揃うことはない

全てのデータが漏れなく揃うなどということはありえない。アナリストは、その足りない部分を自分の知識と経験と勘を総動員して埋めなければならない。それはサイエンスとアートの両方を必要とする。どちらが欠けても”正しい”答えには届かない。

一生勉強は続く

変わりゆく世界の中で、その場に留まることはアナリストには許されない。国際情勢、社会の変化、最先端の技術や理論の知識、ライバルの動向など学ばなければいけないことは数限りない。言うまでもなく、自社の人々やサービスにはもっと詳しくなければならない。一生アナリストでいるということは、一生勉強を続けるということである。

アナリストを楽しむ

楽しむとあえて言わなければならないところにつらさがあるが、それでも楽しむことを忘れては続けることはできない。もし他の仕事がより楽しくなったらどうするか、なんて想像に意味はない。その時はその仕事に変えればよい。

自戒を込めて

こうであるべき、というよりはこうでありたいという内容を列挙してみたが、どこまで実践できているかというとはなはだ心もとない。また、これらを実践することが本当に正しいのかもわからない。

1つだけ確実なことが言えるのは、これらを実践するとクライアントから仕事は取れず、上司には疎まれ、同僚からは嫌な奴と陰口を叩かれて、よほどの幸運に恵まれない限り大変な苦労をする羽目になることだけは間違いない。自分はやりたいのでやるが、他の人にはあえてお勧めはしない。