書評・感想『マーケティングインテリジェンス―リサーチから情報管理システム確立へ』
50年前に発売されたとは思えない、日本の遅れをまざまざと感じさせるおすすめの良書
隠れた良書。ビジネスにおけるデータ分析をより広く、かつ具体的に書いており、特にデータ分析チームのマネージャー向けでこれ以上の書籍は日本語で読めるものは今のところ存在しない。もちろん現場の分析官(特に戦略情報担当)にも読んで欲しい。
この本は原書が1968年、日本語訳がその翌年の1969年(昭和44年)というからもう50年前。そんな時期にビジネスにおけるインテリジェンスについての包括的な記述のある本が出ているという事実にまず驚きだ。目次をざっと紹介すると、
- 第一章 マーケティング・インテリジェンスの概念
- 第二章 マーケティング・インテリジェンスのための組織論
- 第三章 情報の管理とは何か
- 第四章 インテリジェンス組織と活動-四つの実例
- 第五章 競合する他社に関するインテリジェンス
- 第六章 製品に関するインテリジェンス
- 第七章 インテリジェンス情報を集め、貯え、検索する方法
- 第八章 情報を評価し、検証する方法
- 第九章 情報を処理し、解釈する方法
- 第十章 情報を合成し、予測する方法
- 第十一章 マーケティング・インテリジェンス・レポートの作り方
- 第十二章 情報システムの基本モデル
- 第十三章 これからの情報管理者はどうあるべきか
もちろんまだコンピューターの普及などしていない時代なので、手法やテクノロジーについては当時の話しかない。しかし情報を集め、分析するという行為やそのための組織の重要性が変わるわけではないので今でも十分通用する。
そして、この目次だけをみても、ここ数年のビックデータとかデータサイエンティストとかの流行に乗って出てきた本の多くが、個人の体験談を書きつらねた本や、初心者向けの統計学ばかりで(それが悪いとは言わないが、偏りすぎ)あったことを考えると、データ分析文化の遅れは50年どころではないということに恐怖すら感じる。この本と同様のレベルのものが日本で当たり前になるのはまだまだ当分先だろう。
注目したいのは、シャーマン・ケントの『戦略インテリジェンス論』や、ラスディラス・ファラゴーの『知恵の戦い』といった国家レベルのインテリジェンスなどからも引用がされており、ビジネスにおけるインテリジェンス活動の元はやはり国家レベルでの経験の蓄積があってこそだ。
その点日本では国家レベルの情報機関はいまだ存在せず、近年ようやく議論が始まりつつあるとはいえ大きく話題になるわけでもないという現状は、そのままビジネスにおけるデータ分析の未発達に直結しているのだ。
リサーチャーと経営者の間のコミュニケーションの欠如
ここから本文より3つ紹介。1つ目はリサーチャー(これはデータサイエンティスト・データアナリストなどご自分の状況に合わせて読み替えてもらえばよい)と経営者のコミュニケーションについて。
リサーチャーと経営者の間のコミュニケーションの欠如が大きくなっているという傾向である。経営者は、リサーチャーの発言はしちめんどうくさくてよくわからないというし、リサーチャーのほうは、経営者は自分のほしい情報が何かを語ってくれないと不平をもらす。(中略)リサーチャーは、行動科学、統計学、数学、その他を専門的に訓練された間口の狭く奥行きの深いスペシャリストになってきた。これら専門分野の進歩のスピードは速くなり、ますます複雑で難解な概念や専門用語がつくり出されるために、経営者は、自分の経歴からして、専門家がいわんとすることに、すぐついてゆくことなどできるものではない。すると、経営者とリサーチャーの間のコミュニケーションが、不可能ないしは不調に陥るのである。
マーケティングインテリジェンス―リサーチから情報管理システム確立へ P13-14
50年前に書かれたとは思えない。つまりこの問題は以前から存在するし、現在でも同じどころか技術の発展はますます著しくなっておりさらに複雑怪奇になっていることを考えると、多分ずっと無くならないどころか悪化する一方だ。
。だからこそ専門家からの歩み寄りが必要だと考えるが、そのような警鐘を鳴らす人があまりに少ない、ことは以前から気になっている。
コミュニケーション切断の理由となっている他の重要な要因
1 経営者の立場を弱めるのではないかというおそれが経営者の側にある
2 企業の組織に欠陥がある
3 リサーチ部門の地位がラインに比べて低い
4 リサーチ部門が、組織票の上で、トップから離れている。マーケティングインテリジェンス―リサーチから情報管理システム確立へ P14-16
1の視点はユニークだ。ここは全部引用しよう。
経営者というものは、ある不確実な状況について自分なりの推論を下し、推論の根拠となった事実ではなくて、推論そのものを確実なものだと、他の人にコミュニケートする。このやり方で「不確実さを吸収して」いるのである。つねに不確実さに直面して行動しなければならない企業にあっては、確信のたのもしさが要望されるものだから、この経営者のやり方が、実力発揮の効果的なテクニックとなりうるのである。
ところが、リサーチのおもな目的の一つが、なんらかの不確実さを取り除くということにあるかぎり、企業にリサーチを導入するということは、不確実さを吸収するという経営者の仕事が、ある程度リサーチャーのほうに寄せられるということを意味する。ということは、ある経営者が力を喪失するということになるだろう。
マーケティングインテリジェンス―リサーチから情報管理システム確立へ P14
なるほどたしかに、もし全ての不確実さを無くし、完璧な情報が得られたとしたら、経営者が決断力を発揮する機会は失われてしまう。
現実には完璧な情報などありえないので最後は決断力(と言う名の感と経験と度胸。参考:データ分析とは「感と経験と度胸」である)になるわけだが、情報の精度が上がることで決断の際に吸収する「不確実さ」が減ってしまうことが経営者の力を奪うことになることは考えたことがなかった。
この点はもっと考察が必要だろう。場合によっては情報の質を下げてでも経営者に決断をさせる余地をわざと残すとか。政治的配慮というやつだ。
2-4についてはまぁそのままなのでここでは細かく追わないが、いつでもどこでも似たような話は起きるということらしい。
しかし、このような議論が50年前に書籍として発表されているのと、いまだ議論もろくにされていない日本の状況の違いは一体何なのだろう。
インテリジェンス・サービス部門が必要な八つの理由
もう1つ、「インテリジェンス・サービス部門が必要な八つの理由」を紹介する。インテリジェンス・サービス部門とはつまりはデータ分析チームこと。こちらも引用すると長くなってしまうので今回は見出しだけにしておくが、それでも十分に伝わるものはあるのではないだろうか。
インテリジェンス・サービス部門が必要な八つの理由
一 会社の時間的視野を広げてくれる。
二 デシジョン・メーキングは、既知のものと未知のものとが重なり合って、ますます複雑な行為になりつつある。
三 現代は「情報革命の時代」と呼ばれている。
四 情報が増えるにつれて、経営者は、スペシャリストに対して防護服を着る必要がある。
五 トップが現実からめくらにさせられる傾向が存在している。
六 新しい、よりすぐれた情報源が開発できる
七 情報を一か所に集中すれば、インテリジェンスの創造機能が可能になる。
八 怠惰によるコミュニケーションの欠損を防ぐことができる。マーケティングインテリジェンス―リサーチから情報管理システム確立へ P46-55
しつこいようだが、これは50年前に書かれた本だ。どうやら同じことを同じように繰り返しているらしいことが見てとれるし、データ分析チームを作るメリットも変わることはない。
この「インテリジェンス・サービス部門が必要な八つの理由」は経営者・マネージャー向けの大きなテーマであるので、近いうちに個別にきちんと記事を書く。
もちろん組織を作ったり担当者を任命したらあとは何もしなくてもこれらが全て叶うなどということはなく、手間と時間とお金をかけてこのうちの一部がうまくいけば十分だろうが、何もしなければ今のままだ。
最近データ分析チームを作ったり専門家を雇ってもうまく機能しないという声が聞こえるのは、枠を作っただけで放置していることが原因であることが多いのではないか。
難点は入手が困難なところ
興味を持っていただけたら是非図書館で借りるなどしてとにかく一度読んでほしい。というのも古い本なので残念ながら入手が困難で、amazonでも15,000円ほど(リンクはアフィリエイト未利用)。
もし自分が今無くしたらこの金額でも十分に安いと思うので即買いするけど、読んだことのない人にはちょっと厳しいので気軽に購入をおすすめはしづらい。時々数千円になったりするのでタイミングが合った時には是非。
このブログも大きく影響を受けた本
最後にもう1つ。データ分析に関する話題の中で、手法やテクノロジーについては日本の書籍でもかなり出ている。しかし「経営者と分析官のコミュニケーション」「組織体制と運営」「データ分析に基づいた意思決定をする文化」といった話題については翻訳本でなければほぼない。
今回改めて読みなおしてみて、このブログの議論の話題の多くがこの本の影響を大分受けていたらしいことに気が付いた。
この書籍はこれからの日本のデータ分析を考える上でも非常に重要な書籍だと思うが、もし興味を持ってもらえなかったら私の文章力の問題だ。