「戦略的なデータ分析」の欠如がもたらすものと、これから自分にできること

現在の「データ分析」はほぼ全て「戦術的データ分析」

ここ数年で「データ分析」は実状はともかくとして広まってきたのは間違いない。

それは決して悪いことではないのだが、今言われている「データ分析」には決定的に足りていない話がある。

それはほぼすべてが「戦術的なデータ分析」であり、「戦略的なデータ分析」ではない、ということだ。

「戦術的なデータ分析」はマーケティングを中心に現場で起きるレベルの改善には役に立つが、いくら「戦術的なデータ分析」が強くても経営者が会社の戦略や方針を考える上での1つの要因にすぎない。

「戦略の失敗は戦術では取り戻せない」とはよく言われることだが、その「戦略」には「データ分析」はほとんど関与できていない実態なのだ。

「戦略的データ分析」の欠如がもたらすもの

このまま「戦略的データ分析」が欠如したままだと、経営者の意思決定の質が上がらない。

「組織的な戦略的データ分析」が欠如しているということは、経営者は相変わらず自分の都合の良い話ばかりする部下やあてにならないメディアの記事を自分で集めているということだ。

経営者が情報収集に充てられる時間など限られており、それをさらに分析する時間など取れないだろう。となれば自分の経験か思いつきか都合の良い解釈をして意思決定することになる。

つまりは今起きていることがそのまま続く。大本営はいまだ健在だ。

なぜ日本の経営者にデータ分析リテラシーがないのか

前提として元々日本にはデータ分析の文化がない(参考:日本にデータ分析の文化が育たなかった理由を考える(1) ・・・ 外国からの脅威が少なかったら?他)。

その中で生きてきた人が経営者になったのであって、経営者だからデータ分析リテラシーがなくなったわけではない。経営者にリテラシーがないのではなく、みんなにリテラシーが無い。

データ分析の実務をしている人からしたら「自分は違う」と思うかもしれないが、それは偶然データに関わったからで別のことをしていれば無い側にいたのではないか。

よくありがちな勘違いで「データ分析のことをまったくしらないおじさんを馬鹿にする若手」は、10年後にはこっそりと馬鹿にされている立場になっていることだろう。

もちろん、それでテクノロジーの導入が遅れたり人材をうまく使えないことで生じる業績の悪化には責任を取ってもらわねばならないが。

自分にできることは何か

こうなってしまった原因はいろいろあるが、それはそれとしてこれからどうすべきかも考えなければならない。

まずデータ分析の有用性を示すのが一番なのだが、いかんせんデータ分析は意思決定のためであり独立して存在できない。

リテラシーがない人に有用性を示すために使ってもらおうにもリテラシーがないと使いようがない。

実務経験のない人が実務経験必須のところに入るにはどうすればよいか、というのと同じ話でしかも新卒チケットはなく、携帯電話のようなモノでもないので実物を使ってもらうこともできない。

となれば別のアプローチを取らねばなるまい。データ分析がうまく行った事例、データ分析をやらないことやリテラシーが低いことによる失敗例を集め、データ分析者ではなく経営者に知ってもらえるような手段で世の中に問うしかないかもしれない。

ということはつまりはこのブログで経営者向けの話も書くことを試みるということなので、うまく行くかどうかはわからないがともかくもやってみることにしよう。