データ分析を使わないということは、天気予報を見ないで傘を持っていくかどうか決めるのと同じこと

日本の経営は「家を出る時に傘を持っていくか」を決めるのに天気予報を見ないのと同じだ

「家を出る時に傘を持っていくか」を決める際にはまず天気予報を見るだろう。それに加えて雲の様子をちょっとうかがってみたり、家から駅までの距離や、最寄り駅から目的地までどうなっているかを考えているはずだ。

データ分析とはビジネスに限らず誰でもやっていることであるのだが、言い換えればデータ分析を「組織として」使わないということは、この「天気予報を見ないで、自分で雲の様子を見て湿度を図り、過去の経験に基づいて傘を持っていくかを決める」ということに等しい。そして、日本の経営においてはこれが当然に行われている。

その証拠に「データ分析」でも「インテリジェンス」でも構わないが、「情報・データ分析についての学術的ないしは実践的な教育を受けた人」が「組織的かつ継続的」に「経営の意思決定のための情報・データの収集や分析」を行っているという話を聞いたことがないからだ。

聞いたことがないだけで世の中のどこかにはあるかもしれないがあったとしてもそれはごくごく例外であり、「日本の経営」全体を見た場合に「データ分析」が行われてこなかったことは間違いない。

自分で雲の流れを見て湿度を図ることもできるが、専門家の知見を使う方が良い

傘を持っていくかどうかすら自分の感と経験と度胸だけで決めるのは簡単ではない。予想が外れて傘を持って行かなくても大事にはならないだろうが、遥かに複雑怪奇な経営で同じことを行うことがいかに危険なことか。

だからこそ「爵禄百金を惜しんで、敵の情を知らざるは不仁の至なり、人の将にあらざるなり、主の佐にあらざるなり、勝の主にあらざるなり」と『孫子』にも書いてある。

つまりは「専門家の知見を得るのに金を惜しんではならない」というわけだが、惜しむどころか意思決定のために情報・データ分析が必要だ、ということが知られていないのが現状だ。これは何度も書いているが歴史的経緯から来ているものと考えられるので誰が悪いという話ではなくそういう文化なのである。

天気予報だけでは足りない

実は天気予報というのはテレビや新聞と同じようなもので、より角度の高い判断をするためにはそれだけでは足りない。

傘の話で言えばさらに判断の質を上げるためには、

  • 自宅や目的地など傘が必要になる可能性がある場所の確認
  • 各場所における行動の予定時間とその時間の降水確率
  • 季節によってはゲリラ豪雨の発生確率
  • 体調、服装、用件など傘を持って行かずに雨が降った場合のダメージ

といった「自分に独特な事情」を加味してさらに情報・データを集めて分析して総合的に考えることになる。

天気予報だから大げさに聞こえるが、例えばメディアで宣伝しているツールの導入であれば「その情報はどこまで信じることができるのか?と」という選別の要素が加わりますます混迷する。宣伝を鵜呑みにし、自社で誰がどう活用するかを考えずに導入されたツールがどれだけの悲劇を生んでいることか。

そして毎日数多くの意思決定をする社長にこれらの情報・データを毎回収集、分析している時間などあるはずもない。それを補完するのは「組織としての」データ分析である。

こと意思決定については若い経営者であっても「大企業のおじさんと」変わらない

最近ようやく言われている「データ分析」は、現場の問題の解決を助けても、社長の意思決定には関与できていない(参考:「戦略的なデータ分析」の欠如がもたらすものと、これから自分にできること)。

つまり、こと意思決定については若い経営者であっても「大企業のおじさんと」変わらない。もし以前よりも良い意思決定ができているのだとしたらそれは入手できる情報・データの質と量が改善していることが原因であり、意思決定のやり方が良くなったからではない。

「戦略的データ分析」に興味がわいたら『社長のための「戦略的データ分析」のすすめ』の目次を作ってみたにも目を通してほしい。まだ目次だけではあるが、「戦略的データ分析」に初めて触れる人にはこれだけでも新しい視点を届けられると思う。