情報リテラシーの第一歩は「全ての情報は発信者の意図が含まれている」ことを理解することから

世の中に氾濫する情報は、相手の方から教えたい情報である

ある新聞には、人びとは情報の氾濫のため、ある余る情報の中に埋没して悲鳴をあげているとも書かれていた。
(中略)
しかしそういう情報は、相手の方から教えたい情報であり、商品として売られるべく氾濫しているものである。
情報の中には、売りたくない情報、教えたくない情報、知られては困る情報も多々ある。そのような情報の多くは、相手に取られると、こちらの意図や意中を悟られて不利益をまねく類のもので、それをめぐって取ろうとする者と隠そうとする者との間には、必然的に争いが生じる。

『大本営参謀の情報戦記』P3

情報リテラシーを身に着ける第一歩としてこの文章を紹介したい。あらゆる媒体のあらゆる情報は発信者の意図が含まれている。その多くは発信者にとって利益になることであり、鵜呑みにすれば不利益を招くことの方が多い。

身近でよく見かけるのは広告だろう。良いことばかり書いてあるが一方で悪いことは書かないのは当たり前である。甘くておいしいお菓子をたくさん食べれば太るとは書いていないし、たくさんお金を借りれば利子も膨れ上がることは協調されておらず、マンションの「〇〇駅まで最速何分」は正しくとも実際にかかる駅までの所要時間も駅構内での移動時間も電車の待ち時間も最寄り駅から会社までの時間含まれていない。

あるいは、実態は今までと変わらないのに新しい職種名を付けるというのもの同じ話だ。

書かれていない情報を消費者が手に入れてしまえば全員ではなくとも確実に買う人は減ったり評価を変える人は出る。つまり広告主側にとっては不利益である。だから隠したりわかりづらくしたりする広告主と、より正確な情報を知りたい消費者側で「争い」が生じている。

言われてみれば当たり前だと思うかもしれないが、案外言われていないから気づいていない人も多いのではないか。自分も数年前までこの文章を読むまであまり意識した記憶がない。

疑うことは悪いことではない

騙されることでひどい目に合った経験が歴史的にあまりないからなのか、どうも日本には人を疑うことをよしとしないという感覚が未だにあるしそれでも普段はまず困らない。広告のせいでお菓子を食べすぎたところで損はしても重大な危険にさらされるということはまずない。

これが国家間における情報戦なら話は別だ。ロシア課がソ連有利の情報を出しているのに大本営はドイツの言うことを真に受けてドイツ有利と判断した、という話が『情報無き戦争指導』に出てくるが、相手の意図を考えずに言葉だけを真に受けると大損するという極端な例。

なのでメディアの記事やブログもデータサイエンティストが足りないとか、そのためにプログラミングを学ぼうとか、いやいやそんな難しいことするよりExcelの方が大事だよとか、色々な人の考えがあるな、と読むだけでなくその思惑まで気にして読むとちょっと違う景色が見えてくるかもしれない。当然このブログも含めて。

その他の回はこちらから → 『大本営参謀の情報戦記』を読んで日本のデータ分析のいままでとこれからを考える 目次