完璧な情報・データが集まることはなく、そこをどう埋めるかが分析者の最重要な仕事だ

情報が百パーセント集まることはない

古今東西の戦争の例を見ても、相手の意中を知る情報を百パーセント集めて、左団扇で戦いを進めた例は皆無である。これが戦争というものであって、実際の戦場では知りたい情報の半分にも満たない情報で、敵の意中もわからないままに、暗中模索の中で戦いを進めていることがざらである。

『大本営参謀の情報戦記』 P4

ざっと考えても相手の意図、作戦、装備、補給、士気、地形、天候、知識、文化といった要素を考えると、半分どころか1割でも情報があれば多いだろう。しかもその情報は正しいのかもわからない。相手が流した嘘かもしれない。

ビジネスにおいても、会社の戦略であれマーケティングであれ何かの意思決定をしようとした時にあらゆる情報・データが揃っているということはありえない。

どんなに頑張ったところでライバル企業の経営者が何をしてくるのかなどわかるはずもないし、完璧な調査に基づいた完璧な商品を作れたとしてもそれが売れる保証もない。

だとしたらデータ分析に意味はなく、データ分析者など必要ない、と思うかもしれないがそれも違う。では、データ分析者はどういった役割なのか。つまりこういうことではないだろうか。

従って、百パーセントに満たない空白の部分を、どのようにして解明し、処理していくか、これが情報の任に携わる者の最重要な仕事である。

『大本営参謀の情報戦記』 P4

今取れているデータを集計して数字が上がった下がったという誰が見ても同じ事実を見せるだけならデータ「分析」者は必要ない。そこに独自の見解を加えることで、「百パーセントに満たない空白の部分を、解明し、処理して」将来起きることを洞察し、事故やライバルの登場を事前に予測し、より良いサービスを開発し利益を上げる力になることに存在意義があると考えられる。

そのためには「なぜそうなったのか」を常に考えなければならない。データに出てきたことだけでなく、データに出てこないこと、例えばある商品を買った客がその商品を買った理由、あるいは別のブランドを買わなかった理由、なぜ店舗に来たのかあるいは来なかったのか、他のどんな店でどんなものを買っているのかといったことから店舗のレイアウト、周辺の交通、といったことを調査し、考え、推測することが必要になる。

もちろん現実的には全て行うことは不可能だから出来ることを取捨選択しなければならない。たとえ無限の時間と予算があったところで完璧にわかることなどないかもしれない。だからと言って何もしないわけにはいかない。つまりデータ分析とは「不確実性を出来る限り減らそう、という試み」であるとも言える。

今までの「データ分析」は「今あるデータを」「集計して」「可視化する」ことだけにあまりにも偏りすぎている。そのグラフを見て具体的に意思決定に結び付けられる人は少ない。わざわざ金と人の膨大なリソースを費やして得られた結果が雑談のネタにしかなっていない。

集計されたデータと意思決定の間には必ず人間が介入し洞察しなければ使える情報にはならない。この考え方が決定的に足りていない。データの世界だけで完結させられる場合もあるが、世の中の意思決定全体から見れば一部でしかない。

その他の回はこちらから → 『大本営参謀の情報戦記』を読んで日本のデータ分析のいままでとこれからを考える 目次