過去の日本のデータ分析事情を概観する
日本のデータ分析事情を概観する
今後のデータ分析事情を考える上で、過去と現在の事情を見ることは有用だろう。そこでまずは過去の日本のデータ分析事情を概観してみたい。
歴史を振り返ってみても、データ分析による意思決定をする文化が日本にない
これは最近のビジネスの話だけでなく、どうも有史以来あまり必要がなかったためなのだろうが、意思決定のために情報・データを集めて分析する、という文化が見当たらない。
正確に言うと、リーダー自身が自分で分析をやってはいるのだが、軍師や参謀、あるいは諫議大夫のような役割の人が見当たらない。つまり一言でまとめれば「狭い国土で外部からの脅威もほとんどなく、内側の戦いも隣近所の小競り合いが中心だったのでリーダー自らが考えるだけで事足りた」というとことだろう。
国家の命運がかかる戦争でもやっぱりインテリジェンス軽視というか無視
では外部からの脅威が強くなったらすぐに変わるかというとそうでもない。数十年前の国家の命運をかけた戦争ですらまともに情報・データを扱うことなく、散々な結果に終わったことはご存じの通り(もちろんインテリジェンスの問題だけではないが)。
この顛末については『大本営参謀の情報戦記』詳しいのでデータ分析に関わる人、つまりすべての人は読むべきである。
つまり、必要性が高まろうがテクノロジーが進化しようがデータがたくさん集まろうが、文化的背景がないのではある時突然に対応するのは難しい、ということなのだろう。
戦争でこの状況であれば、たかがビジネス程度で意識が大きく転換するはずもない。戦後も同じ状況は続く。
作れば売れる時代に情報・データ分析など無用
情報・データの失敗から学ばなかった、というよりは学ぶ必要がなかったのが戦後の高度成長期からバブルのころまでだったのだろう。
「作れば売れる」という時代があったらしいが、だとしたら情報・データ分析など出番があるはずもない。
これは立ち上げたばかりの小さいなベンチャーが情報・データ分析を不要とは言わずとも優先度は非常に低く、とにかくプロダクトを作ることが最優先になるのと同じようなものか。
BI・CRM・・・実はつい最近同じことが起きていた
ITが進化してよりデータの重要性が高まってきてもやはり今までの意識が変わるというわけではない。
実はデータサイエンティストやビックデータの数年前には「ビジネスインテリジェンス」という言葉が同じように流行したし、その前は「CRM」があった。
今でもまったく消えたわけではないがメインストリームとはとても言えない。せいぜいたくさんあるツールの1つに過ぎない。
現在これらの存在感を見れば「ビックデータ」や「人工知能」の先行きが見える気がするがきのせいだろうか。
2010年代に入ってから言葉だけは聞こえるようになったが、うまく使うことができていない
ビックデータやらデータサイエンティストという言葉が流行しても「よりよい意思決定」という文脈ではなく「データがあればいいことあるんでしょ」という稚拙なレベルにとどまっている。
まさにこれはBIやCRMをそのまま後追いしており、もうかるのはコンサルと主に外資のツールベンダーだけというのも同じに見える。
いくらテクノロジーが発達しても使う側が追い付いていなければうまく使うことはできないのだ。
ほかの誰かを笑えない
以上、これまでの日本のデータ分析事情について駆け足だが自分なりに概観してみた。改めて考えてみてもやはり文化が欠落しているというが致命的だ。
こういう話は現場の人にはうける。しかしそれはたまたまデータに関わったゆえに少しだけ違う姿が見えているに過ぎないのではないか。
同じような環境で同じような社会生活を送っているのだからもし立場が違っていれば笑われているのは自分だったのではないか。そう思うと、誰かを吊るし上げてもしょうがないのでどうしたらいいのか考えよう、という気になってくる。
それで具体的になにをどうしたらいいか思いつけばいいのだが、それはそれでまた別の話で…。