データドリブンで人が動くためにはどういった条件が必要なのか

データドリブンとは言うけれども

デジタルの世界の中で全てが完結する場合はともかく、データドリブンとはいえデータだけから全てを決めるというわけでもなく結局は人が決めるにあたってデータをどう使うかの話だ。

ではどうやったらデータドリブンで人は動くのかと考えてみると、大きく分けて2つあるのではないだろうか、と思いついたのでそれぞれをまとめてみる。

「データドリブン」で人が動くための条件

1・適切な要求が出来てかつ都合の悪いデータに向き合うことのできる意思決定者がいる

まず初めに「要求」が出されている必要があるだろう。なんの要求もないということは分析者側がこうしたらいいだろうと想像して進めるということであり、つまりは

  • どんなに正しい分析であっても押し付けになる
  • すでに知られていることを分析してしまう
  • 分析手法にこだわって無駄に高度なことをする

などが起きてしまうのはよく聞く話だ。

次に要求が出されても「適切」でなければうまくいかない。つまりは丸投げするとか、「利益を上げる」とかあまりに大雑把すぎても要求が無いのと同じになる。

さらに、適切な要求に基づいて分析がされたとしても、それが意思決定者の都合の悪い結果だと無視したりやり直しを要求する、ということがされてはデータドリブンになりようがない。

この3点はどれが欠けてもうまくいかない。というと大げさに聞こえるのだがようは目的無きデータ分析は無駄であるし、聞く耳を持たないなら分析を行う意味もない、と至極当たり前のことを言っているに過ぎない。

なお現状でいうと、「こんなことが知りたい」という「要求」が出されない(丸投げ含む)からデータドリブンになりようがない、という場合がかなりの割合を占めているのでは、というのが実感だ。

2.意思決定まで含めてシステムに組み込む

人が介在するとデータドリブンが難しいならばできるだけ人を介在させないようにするのが良いだろう。つまり結果が出たら自動的にその結果に基づいた意思決定がされ、さらに施策として反映ようにされる。

例えばレコメンデーションやダイナミックプライシングは完全にデータだけで行うと社会的・倫理的な問題にも直面するので禁止事項や限界を決めるなどある程度の介入は必要ではあるが、それでもやるやらないの決定が覆されない限りはデータに基づいた改善が実行までつながるのでうまくいきやすいようだ。

データ活用でも機械学習がわりとうまく行っている(ように見える)のはつまりは技術者で完結できるからではないかと思っていて、今後うまく行く場合の大半はこちらだろう。

データドリブンなんて忘れてもいいのでは

結局のところはデータドリブンがどうのといってもつまりは「データ分析がどうやったらうまくいくのか」という話と同じになるわけで特に目新しい話は書きようがなかった。掛け声だけに使われるぐらいならデータドリブンなんて言わなくてもいいのでは。そういえば実際に分析する側の人はほとんど言わない気がする。

データ分析がうまくいかない理由は数多いけれども最初に目的が無くて「なんとなくうまくやれ」とか、きちんと要求を出さずに丸投げではうまくいくわけない、という話をまず世の中に広めることが先決なのだろう。