定量と定性は手段の違いなので別々に考えることはあまり意味がない
定量と定性がなぜか別に語られる不思議
Insight Tokyo #1 に触発されて、というわけではないがだいぶ前に途中まで書いた話がようやくまとまった(?)。
さて、データ分析と一言にいってもいろいろな捉え方があるが、その中でも対立しているように扱われがちなのが「定量的な分析」と「定性的な分析」ではないだろうか。
対立という言葉がふさわしくなければお互いに無関心と言う方が正しいかもしれない。だからなのかコミュニティが断絶していることには以前から疑問に思っていた。
そこで、定量は定性だし定性は定量なのでつまりはあえて区別する必要はなく、大きな枠ではやり方の違いぐらいで考え方は同じなので別個に語る必要はないのでは、という話をしたい。
定量的な分析だって最後は定性的に考える
いくら量で測ったとしても測ることは目的ではない。解釈し、将来への予測へと繋がって初めて意思決定に役立てることが出来る。
そしてその解釈は人がするのであり、その解釈は数値だけでは行えない。つまり、「定量的な分析」とはいえど量だけの話で終わることはない。終わっていたらそれは処理であり分析とは呼べない。
なので「定量的な分析」とは言っても実際には量だけで考えているわけではない。
定性的な分析も結局は定量的に扱う
定性的な分析と言えばアンケートを集めたり、様々な観察を行った後にどんな共通項やトレンドがあるかなどを見定めるだろう。
つまりそれは統計を取って考えているということでもある。特徴を抜き出して分布を見たり、対象を当てはめてみて予測や分類をしているわけだがそれはまさに定量的な分析そのものだ。
もしこういった比較をせずにその事象だけで見えることだけから話を作っても、それは何の裏付けもない作文の域を出ない。
つまりは「定性的な分析」は量として扱っているということでもある。
手法は違えど目的は同じ
つまり、データ分析というプロセスにおいては「意思決定に役立つかどうか」だけが焦点であり、そこに「定量的」か「定性的」かどうかという話に区別を付ける意味はない。やり方には違いがあっても対立する考えではない。
知りたいことという目的に対してあらゆる選択肢を考える必要があり、その中での方法の違いにしか過ぎない。
「ハンマーを持つと全てがくぎに見える」の例えの通り、手段を先に決めてしまうとあとはそこに無理やりでも当てはめようとすることになってしまう。最初から手段を区切ってしまってはできることもできなくなる。
なので「自分の知っていることは全体の一部でありその中でできることをやるが、他にもっといい選択肢や方法があるのかもしれない」ということを常に念頭においておくのがよいのだろう。
言葉の呪縛があるのかも?
@jinyanakamuraさんのInsightTokyo #1 を見ながら考えていたことで以前からデータ分析に関わってきた人がどう見ているかをまとめているので引用させてもらうと
UXリサーチもデータ分析も、僕らがもともと大きく「データ分析」と呼んでいたり、アプリケーション対象を限定すれば「マーケティングリサーチ」と呼んでいたものなんじゃないか。ただ、その当時にはビッグデータが無かった(あるところにはあったけれど、UXリサーチ~マーケティングリサーチの世界にはまだ届いていなかった)。そして、そこからビッグデータの時代が嵐のように到来したのだけれど、僕らにとってはただデータが大きくなっただけで、旧来の用語をわざわざ言い換える必然性もなかったので、その意味で新UXリサーチも新データ分析=データドリブンなデータ分析も、旧データ分析の中の種類の一つでした。ですから、もともと同じであるものを融合させるというイメージもなく、目標達成のために使う、いくつかある手段のウチの一つずつ、くらいの違いしか無かったわけです。
この話には大いに同意で自分も同じ感覚なのだけど、「ビックデータ」「データサイエンティスト」、最近の「UXリサーチ」と言った名前から入ってしまうとその名前に縛られるのかもしれないなぁなんてことを考えていた。あとは流行っているから名乗ることで得をするというのもあるだろうけど。
「ビックデータ」以前から分析に関わっていたという人は元から少ない上にTwitterではさらに輪をかけて見かけないが、他にもいらっしゃったらこのあたりどう見ているか聞かせてもらえると嬉しいです。
1人ではとてもではないが無理
とはいえ定量的な分析と一言に行ってもクロス集計から数理モデリングや機械学習まで実にその範囲は広いし、定性的な分析もアンケートやインタビューをすることだけでなく経済学・心理学・社会学・民俗学・歴史学など目的に応じた様々な分野の知識が必要だ。
その中のたった1つの分野でさえ細分化されてそれぞれに蓄積された膨大な知識があるのだから1人で理解できることなどたかが知れている。
なので目的に対して補間しあいながら時間やコストなどの制約の中でできることを模索していく、ということになるがこういった役割は薄くとも広い分野に知見を持った人が必要だろう。(名前はどうでもいいけど)アナリティクスディレクターのような考え方はもっと広めていきたい。
概念としてはそうだけど実際には難しい
と、概念としてはそうなのだけれども実際にはやはりどこかに偏ってしまうわけで、それが怖くて幅を広げるような勉強をしていると今度はどこの専門家の話も理解できなくなることにも怯えている中でどうバランスをとっていくかは悩ましいし多分解決しないのでひたすら学びと実践を続けて行くしかなさそうだ。