書評・感想『インパール作戦 悲劇の構図』

概略だけでもわかるその無茶苦茶ぶりと、今でもさほど変わっていないらしい日本人

悪名高き「インパール作戦」ではあるが、インパールやコヒマという地名、牟田口廉也や佐藤幸徳といった将軍の名前、白骨街道といった個々の名称はよく聞くが全容についてはあまり知らなかった。この本では作戦の開始から終了までの作戦を追いかけておりインパール作戦がどのように行われていたかの概略を知ることができる。そういう視点で書かれるのは割と少ないのでありがたい。

概略といえども、インパール作戦や指導する人たちの無茶苦茶ぶりはよく伝わる。

  • 司令官の思い込みによる現実を無視した独善的な作戦
  • 私情を優先して合理的な作戦を考えられない上層部
  • どこで何をしているのかよくわからない参謀
  • 兵站無視で食料も武器も送らない
  • 地理も敵の情報もろくに調べないでとにかく突撃しては壊滅・撤退の繰り返し
  • それでも頑張る兵隊
  • 撤退の判断ができずに遅れたせいで大きく増える犠牲者

とまぁただただあきれ返ると共に、よく見かける風景でもあり、それは現在のビジネスにおいても同じように繰り返されているようにしか見えないのだが気のせいだろうか。とすると、これは特定の誰かではなく仕組みの問題であり、つまりはその仕組みをうまく作れない日本人の国民性の問題ということになるのかもしれない。

情報を聞く気がないとどうにもならない

さて、情報(つまりデータ分析)の観点で考えるにあたり、次の話を読んでもらいたい。筆者がミニインパール作戦というべきと評したある場面についてである。やってきた応援部隊の隊長と、指揮をとった参謀のやり取りだ。

参謀「すぐに前方の敵を撃退せよ」
隊長「まだ大隊が揃っていません。遅くともあさってまでに到着します。揃い次第攻撃します」
参謀「ならん。すぐに攻撃せよ。今が戦機である」
隊長「わかりました。しかし、せめて敵情の視察をさせてください」
参謀「敵兵は十五、六人だ。なんてことはない。直ちに行け。後続部隊は俺が前に出してやる」

(中略)

隊長以下一三〇人がトルボン隘路口に向かった。敵情もわからず、敵陣地の地形もわからず、敵の兵力も火力も配置もわからないまま闇のなかをすすんだ。
このときトルボン隘路口に布陣した英印軍の兵員数は約五〇〇人であった。

『インパール作戦 悲劇の構図』P196-198

そのあとどうなったかは簡単に想像できると思うが、案の定攻撃は失敗。生存兵は一三人であったという。話はこれだけで終わらず、同日到着した次の部隊も同じ目に合わされている。このわずか数ページの記述の中で、愚かな参謀の命令のおかげで150人を超える戦死傷者を出している。

いくら情報が大事だ云々いったところでとにかく攻撃しろでまともに話にならないのだからこういった指揮者(会社なら上司)に当たってしまったらどうしようもない。敵情を調べさせることも許されず、与えられた情報はデタラメどころの話ではない。会社なら失敗してもあとで巻き返しを図ることはできるが、命を落としてしまえばそれで終わりだ。

日本軍についていえば、この手の話は実に多い。ここに出てくる参謀は極端な例かもしれないが、日露戦争と支那事変でなんとかなったから今度もうまくいくだろう、ぐらいの感覚だったのだろうか。ところがうまくいかないから現実を受け入れて転換したかというとそうでもなく、とにかく突撃しては玉砕していくのは一部の例外(ペリリューや硫黄島)を除けばさほど変わらず、それは戦後そのままビジネスの世界にも引き継がれているようにも思える。

会社のおじさんと同じだと笑えば明日は我が身である

だとすれば、いくらえらいおじさんを叩いてその場で気持ちよくなっても、本人達に聞こえないところで文句を言って慰め合っているだけでも何も変わることはないし、いずれ自分も同じようなことをするかもしれないし、言われないだけでもうしているのかもしれない。明日は我が身と思って自戒するとともに、仕組みとしての問題についてもっと考えなければならない。