データ分析とは「感と経験と度胸」である

「データに基づいた意思決定」に人が介在しないというのは誤解

「データに基づいた意思決定」を「データを分析してその結果を意思決定に使うこと、そこに人が関与しないで分析結果がそのまま使われる」と考えてしまうと実情とは程遠い。

意思決定者には「感と経験と度胸」が必要だ

データ分析はプロセスであるという視点から見ると、その始まりはまず目的を決めることであり、目的無きデータ分析は無駄である。そしてその目的を決めるのは人である。

人工知能が発達して、どのような目的を設定すれば良いかを決めるのもすべて自動化されたとしても、その人工知能がどのような基準で目的を決めるのかは作った人によって決められる。

また、分析結果を聞く際にも「それは本当に正しいのか」を見極めるには感や経験があるととないのとでは大違いであり、意思決定や施策の実行にも度胸は必要になる。

結局のところ、どんなに大量で質の良いデータがあったとしても、最後には決める人の「感と経験と度胸」が成功を左右する。

分析者にも「感と経験と度胸」が必要だ

では分析者には「感と経験と度胸」は不要なのかというとそれもまた違う。要求に基づいて「そのためには何を知るべきか」を考える、データの収集をする、前処理を行う、パラメータをチューニングする、本質を洞察する、相手の性格や能力を考えて伝達するといったこともまた最後に決定するのは分析者の「感と経験と度胸」になる。

同じデータがあったとしても扱う人によって差が出るならば、その差を生みだすのはつまり「感と経験と度胸」だ。

「感と経験と度胸」が不要なら、データサイエンティスト・データアナリストは不要である

もしかしたらデータ分析の専門家を名乗るためには、データの扱い方以上に「感と経験と度胸」を身に着ける必要があるかもしれない。

少なくとも、知見に基づいた「感と経験と度胸」が不要で、誰がやっても大した変わりがないのであればデータサイエンティスト・データアナリストなど不要だ。