データ分析とインテリジェンス

「精度の追求やより深い洞察」に特化したい人が先に考えておいたほうがよいこと

何をして報酬をもらっているのだっけ?

「会社が求めている仕事があり、その仕事に対する責任を全うすることで報酬を得る。自分がやりたいことはその前提において実現することを試みる」というのは企業で勤める際の大前提であり全員が共有していると思っていたがそうでもないのかもしれない。

みんな同じ前提のつもりだったので、面談ではいつも「自分のやりたいこと」を話していた。しかし相手が「この人は会社が求めていることよりも自分のやりたいことばかりやろうとする」と捉えていたのだとしたら印象は最悪だろう。採用されなかった原因はもしかしてこれだったのかも、と思い当たることがちらほら。

それはさておき、今回は特にビジネスにおいて「精度の追求やより深い洞察」に特化したい人が先に考えておいたほうがよいことを書いてみる。

求められているのは精度を出すことではないのでは

会社であれば利益を出さなければらない。そのためにやるべきことは数多くみんなで役割分担をしている。「分析」の仕事も役割の1つだ。

そして、現状では「分析」と呼ばれている仕事に求められているのはほとんどの場合機械学習で精度を追及することや、より深い洞察を行うことではないだろう。

レコメンドシステムを作ることが期待されているのであればいくら精度を上げても責任は全うできていない。もちろん精度が悪すぎれば改善する必要はあるが、精度を出すことに時間を多く費やすことは不可能だろう。極端な話をすれば機械学習である必要もない。

施策を実施して利益をあげることが求められているのであれば分析して作ったインテリジェンスが間違えていようが結果が良ければ問題ない。

「精度の追求やより深い洞察」に特化する人はまだ早い

機械学習で精度を追及したり、より深い洞察を行うのは意思決定と分析のプロセスでもかなり限られた領域である。そこに特化した専門家がいた方が良いのは間違いない。

しかし、現実問題としては特化するだけの人を抱えるほどデータの仕事の需要がそこまで増えていない。まずは特化する人ではなく広く対応できる人が優先されるのは当然のことだ。

何かに特化するためには「解くべき課題を決める仕事」と「使えるデータを用意する仕事」と「システムに組み込む仕事」と「企画や実行をする仕事」を行う人がまた別いることが必要になる。

機械学習の場合はさらに少しの精度の違いが大きな利益を生み出すことも要求される。インテリジェンスの場合はデータとインテリジェンスの区別がされていないというより根本的な問題がある。

そう考えると、大半の企業ではあまり狭い領域に特化するのはまだ早いということがわかる。つまり、特定領域の能力を身に着けてもそれだけでは求められる責任に答えられない。

「状況を理解した上でどこかに特化する道を模索するか、領域を広げるかを選ぶ」と「ある特定の領域のことだけでは現在の需要に応えられないことを知らずにその領域の事だけをしようとする」ではまったく違う。

求められる責任とやりたいことが大きくずれる原因

まず、前述のとおり需要が少ない。日本でのデータ活用はまだまだ始まったばかりであり、多くの企業では仕事を細かく分担するほど組織になっていないということが考えられる。

2つ目に、意思決定と分析のプロセスの全体像の共有がされていないこと。個々人が考える範囲が最初から違うので役割分担も想定することが違う。

3つ目、ジョブディスクリプションが無いこと。文書にもしなければ認識合わせもしないのでずれたままになる。

4つ目、データ活用が始まったばかりであるため経験のあるマネージャーが不足しておりうまくマネジメントが出来ない。何のために何をしているか理解できなければ制御できない。

最後に、「分析」を学んだ人の経験不足。理論は「きれいなデータを与えられてそれをなんとかする」部分のみに焦点があたるがそれだけしか知らない人がここ数年のブームで一気に増えた。さらに実務で必要な様々なことはマネジメントの力量不足で教えてもらえない。ギャップが埋まるかは個人任せである。

思い当たることを列挙してみた。どれがどのぐらい影響しているかはわかりかねる。とはいえ、簡単に解決するような問題でもなさそうなことだけは想像がつく。

簡単に取れる方法があるならまずはそちらが先

「精度もインテリジェンスも大事だ!」というのはその通りだと思う。しかし最優先に取り組まなければならないわけでもない。

たとえば目の前に小魚の大群がいるとする。手元には高性能の釣り竿と、そこに穴があいているバケツがある。もし「小魚を少しでも多くとりたい」のであれば先にバケツを使って取れないか試してみるのが先だろう。

手で塞げるなら塞げばいいし、手で足りなければぴったりでもなくてもいいから塞げる布や板を探すだろう。それがだめなら手ですくうことを試みるはずだ。取れるだけとって手が届かないところにいる魚を釣り竿で1匹づつ取るのは最後の手段だろう。

精度を突き詰めたり精密なインテリジェンスを作るのは釣り竿を使うことに例えられるのではないか。小魚は利益だ。バケツや手の方が多く小魚を捕れるうちは釣り竿の出番ではない。

特化したければどうしたらいいのか

自分の責任の範囲においては自由に選択すればいい。失敗しても責任を取れば済む話だ。

責任の範囲を超えるなら「時間に余裕があるから今後のためにも別の方法でもやってみたい」と責任がある人に承認を得てから行うべきだ。あるいは自分の権限を広げる要請をすることもできる。必ず承認を得られるとは限らない。却下されることの方が多いかもしれない。

本来の業務をうまく効率化して空けた時間で隠れて行うこともできるだろう。結果がよければ後で美談になるかもしれないが個人的には賛同しかねる。自分ならなら「やるべきことはやるから空いた時間で試させて欲しい」と交渉する。

どうしても耐えられないのであればやりたいことがところへ転職すればいいだろう。あるいは起業して自分の思い通りのことをやる方法もある。

言いたいことは「何が求められているのかもうちょっと意識した方がいいのでは」

いつも通のり、全体ではどうなのかを意識して考えている。そのため個別に見れば当然例外はありえるが、まだまだ当分は少数派になると思われる。しかし確実に需要はあるので、自分のところは「〇〇に特化できる!」ともっとアピールしたらいいのにと思う。

いろいろ書いてみたが、言いたいことは「何が求められているのかもうちょっと意識した方がいいのでは」だ。ただし「責任を意識すること」=「与えられたことしかやらない」ではない。現状と、今後どうしていくかは別の話だ。

カテゴリー:意思決定と分析のプロセス